もし「阪神・清原」実現していたら…売り込みを“門前払い”した岡田監督の本心

とらほー速報
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1: 名無しさん@\(^o^)/ 2021/05/04(火) 09:25:37.17 ID:CAP_USER9
【球界平成裏面史・GW特別版】歴史に「もしも…」はつきもので、球界にもいろいろな「もし」がある。浮上しては消えるトレード話や、FA移籍、監督人事などの去就話がその最たる例だが、そんな中でも「もし、これが実現していたら…」と思わずにいられないのが、あの清原和博氏が阪神入団を非公式に打診していたという衝撃情報。取材した番記者が当時を振り返った。

 阪神の平成17年(2005年)は、岡田彰布監督が就任2年目のシーズンで、2年ぶり9度目のリーグ優勝を果たした。当時は金本知憲、今岡誠ら自慢の強力打線に広島からアンディ・シーツが新加入、投手陣では藤川球児がシーズン80試合登板の日本記録を樹立するなど大活躍し、最強救援トリオ「JFK」を結成した。開幕早々の4月こそ3位だったものの、5月からシーズン終了までの月間成績で首位を維持。87勝54敗5分けで、落合監督率いる中日に10ゲーム差をつけセ・リーグの頂点に立った。

 前年4位に沈み、何かと星野仙一前監督と比較されてきた岡田監督にすればやり返した、との思いも強かった。9月29日に優勝を決めてからは、酒席でも「そらそうよ」「そんなんも知らんの」など得意満面の“絶口調”ぶりが続いていたが、その中で聞き捨てならなかったのがこの年、巨人を解雇された超大物・清原和博が関係者を通じて阪神に「売り込み」をかけてきた――というものだった。

 岡田監督と球団幹部からその話を聞いたのは日本シリーズ前の10月。甲子園球場近くの当時、阪神OBがやっていた鉄板焼き店でのことだ。清原サイドは「最後に阪神で、甲子園で野球をやりたい。お願いできますか」などと申し入れてきたという。清原は平成9年(1997年)から巨人でプレー。松井秀喜とともに主軸として活躍する一方、左ヒザなど多くの故障に泣かされてきた。巨人9年目となったこの年は96試合に出場し、22本塁打を放つも打率は自己ワーストの2割1分2厘。堀内監督との確執も本塁打を放った後の“ハイタッチ拒否事件”で表面化し、シーズン終了を待たずに戦力外通告を受けていた。

 巨人を“お払い箱”になった清原にとって同じセ・リーグで宿敵関係にある阪神はリベンジするには格好の球団だ。高校時代から「怪物」と騒がれ、慣れ親しんできた甲子園には根強い清原ファンは多い。また、阪神ナインにも金本ら「信者」もいる。最後の新天地を阪神に求めたのもそういった理由だからだろう。

 それにしても、この「売り込み」が単なる探りや“秋波”ではなく、本気ならものすごい話である。阪神にとって清原はまさに長年の「恋人」だったからだ。清原が西武からFA宣言した平成8年(96年)オフに当時の吉田義男監督が「タテジマをヨコジマに変えても欲しい」と名文句を吐いてまで獲得に乗り出したが、フラれている。平成16年(04年)オフ、巨人で清原の去就問題が勃発した際にも清原獲りを協議。当時の野崎球団社長は「年俸面で大きくダウンできるなら検討に値する」と関心を寄せていた。しかし、清原が最終的に巨人残留を選択し、断念した経緯がある。

 だが、今回は違う。あの清原が非公式ながら、頭を下げる形で阪神のユニホームを着たいと言ってきているのだ。「野球界で本当にすごいと思うのは清原さんだけ。周囲はもう終わったかのように言うけど、まだやれる。足を引きずりながらでも結果を出してきたから。信じてるよ」と言ってはばからないほど仲のいい金本なら、そんな情報は知っていたかもしれない。人気球団の阪神で、金本、清原の“KKコンビ”結成なら興行的にも最高であることは明らか。ついに「阪神・清原」誕生か…と当時はアホみたいに色めき立った。

 くしくも記者は巨人担当時代に清原を取材している。“近寄るなオーラ全開”の清原には苦労させられたが、それでも「東スポはムチャ書くから腹立つこと多いけど、嫌いやないで。ちょうちん記事ばかりのスポーツ紙よりは楽しんで読んでるわ」と突如、多弁になる時もあり、やはりそこは魅力的なスター選手だった。

 
5/4(火) 9:00
https://news.yahoo.co.jp/articles/9da4fc9197a3542b639df8caa1c992b4a5a4765d

2: 名無しさん@\(^o^)/ 2021/05/04(火) 09:25:45.35 ID:XkKUNsgv0
その清原が阪神入り…となると取材魂も再び盛り上がる。しかし…。鉄板焼き店で衝撃情報を明かした岡田監督は、こう続けた。「清原の話は何回か聞いたけど、結局は断った。今さらウチで…と言われてもなあ。何ともできんやろ。編成上、守るとこもないしな」。過去に2度、フラれているかつての恋人の申し出を事実上の“門前払い”したという。

 確かに平成17年の阪神は一塁手・シーツが攻守に活躍し、4番の金本だけでなく今岡が打点王になるなど打線は強力だった。代打でも浜中治らが控え、力が落ちた清原の出番がないのも明白だった。阪神としてもこの年は球団創立70周年で、目玉となる補強ももくろんではいたが、電鉄本社の幹部は後日、清原について「オフに左ヒザの手術をしたのもあるし、やはり体が来年どこまでやれるかわからないから」と情報不足も理由に獲得を見送ったと明かしている。

 球団内からは清原の「売り込み」を惜しむ一方「断って大正解。ただでさえ、ウチはベテラン、中堅は多い。(清原が入れば)若い選手のチャンスもなくなる。チームづくりにも逆行する」と岡田監督らが下した結論を支持する向きも少なくなかった。「清原が入りたいと思えるような球団になったということ」と妙な自信を持つ声も出たほどだった。

 渦中の清原は、最終的にはオリックスに入団を決めた。しかし、もしも「阪神・清原」が誕生していたら後の人生も変わっていたのではないか。阪神も伝統球団ならではのしがらみが何かとあるが、巨人ほど外様に対する排他的なところはない。「もし、清原さんがウチに来たら喜んで4番を譲るよ」と何度も話していた金本もいたし、藤川とは名勝負を展開した。「あいつの球は火の玉ストレート」と命名したことで、後に藤川から「今の自分があるのは清原さんのおかげ」と感謝されている。

 グチを聞いてくれる相手としてはPL学園の後輩、片岡篤史ほどの適任者はいない。現場以外でも親交のある川藤幸三OB会長は、度重なる死球を受けて対立していた藪恵壹との和解を取り持つなど頼りになっている。よほどのことがない限り、孤立することはなかったとみている。

 まして清原は大阪・岸和田市の出身で「巨人は嫌いでも清原は別」というファンは大勢、甲子園に押しかけている。打っても打たなくても、愛されての引退を迎えられたのではないか。そしてその後も…。

 タラレバばかりを言ってもダメだが、現在、自身のユーチューブ等で活躍している姿を見ると、幻の「阪神・清原」が惜しまれて仕方がない。

8: 名無しさん@\(^o^)/ 2021/05/04(火) 09:34:00.55 ID:Us5eq3LO0
これは岡田好判断だろ



引用元: https://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/mnewsplus/1620087937/

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